台場一丁目商店街に思うこと

なぜ?昭和30年代

活力に満ちた昭和30年代

私は昭和40年代生まれであり、昭和30年代をリアルには知らない。リアルに知る世代は、昭和20年代生まれ、いわゆる団塊の世代以上という事になろう。

しかしながら、世の中には「昭和30年代」が溢れている。新横浜のラーメン博物館しかり、ナンジャタウンしかり、大阪新梅田シティの滝見小路しかり。この他、商業施設や街並み修景、テーマパークなど様々なところで昭和30年代(及びそれ以前)をテーマとした整備が行われている。近年では、大阪天保山マーケットプレースのなにわ食いしんぼ劇場も好例である。
2002年10月26日に開業した台場一丁目商店街もそうした商業施設の一つである。

昭和30年代が注目を集める背景はまず、「高度成長に向けてまっしぐら」という非常に活力と希望に満ちた時代であったことが挙げられよう。戦後の混乱が収束していき、オイルショックは遠い彼方にあったこの時代は、(第1次)ベビーブーマーの登場とあいまって「成長」「繁栄」といったキーワードが輝いていた時代であったのだと思う。

個性と共感の時代

もう一つ、昭和30年代の特徴を挙げるとすれば、地方が地方としての個性を有していた時代であるとも言えよう。
この時代は、新幹線も未整備(東海道新幹線開通は39年10月)であったし、コンビニやファミレスをはじめとするフランチャイズチェーンも存在しなかった時代であった。

これは、地方にはその地方ローカルの資本が独自に店を構えていたことを示している。
どこにいっても同様のチェーン店がみられる現在とは、大きな違いである。

一方でTVは急速な普及を見せて(普及率44.7%/昭和35年)おり、情報の流通が飛躍的に進み、ダッコちゃん人形のような全国的な大ヒット商品が生まれたりもした。工業化も進展し、スバル360(昭和33年)などのヒット商品も登場している。

こうした「誰でもが知っている商品」の存在は、多くの人の共感を得るための鍵、素材となる。これが明治や大正などではなく、昭和30年代をぐっと現実感のあるものとしている要因と考えられる。これは、その時代をリアルに知らない世代にも魅力となり、広い世代を対象としうることに繋がっている。

過去は過去

主と従の関係

昭和30年代は、以上のように非常に魅力的な素材ではあるが、所詮、「過去」でしかない。過去は、時の流れを特定の時点で切り取ったものであり、新たな時を刻むことは無い。そのため、更新性に欠き、新しい文化を生み出すことが難しい。

台場一丁目商店街はそうしたジレンマに陥ってしまっているように感じられる。様々な商店が入っているが、昭和30年代という縛りがあるために、商品やサービスの広がりや奥行きが弱い。商業施設でありながら、買い物の楽しさが弱いというのは致命的ではなかろうか。

本来、主なのは商業、サービスであるのに従であるテーマに縛られてしまっている。そのように感じる。

ラーメン博物館とカレーミュージアム

ラーメン博物館のように、独自の素材を持つと話は変わってくる。ラーメン博物館において街並みの再現は一つの核でしかなく、本質はラーメンにある。カレーミュージアムも同様である。こうした素材を持つ場合、素材の更新によって新たな文化を創造していくことが出来る。街並みはその文化をより演出したり、人々に対する「つかみ」としての存在意義がある。

回帰主義だけでは

昭和30年代ミュージアムを造るなら、昭和30年代をうまく再現し、当時の商品を販売したり、雰囲気を感じさせることは重要であろう。

しかしながら、いかに魅力的であったとはいえ、過去に戻るだけでは新たなものは生まれない。

過去の魅力的な部分を抽出しつつ、現在的な価値観によって再構築していくことが必要なのではないだろうか。