観光計画と事業性

先日、TBSの「噂のチャンネル」で、農業テーマパークの破綻が取り上げられていた。
こうした第3セクター系の観光施設の破綻話は、このところきりがないくらいに顕在化している。

自分で起業したり、経営に携わっている人なら常識であるが、事業を行うには連続した資金計画が必要である。資本金を集めて、起業したところで、その後のランニングをまかなっていくことが出来なければ、いつか、破綻する。
また、どんなに儲かっていても、もしくは、将来的に儲かることになっていても、月々の資金が足りなくなってしまえば、短期借り入れを乱発することになり、事業は安定しない。
事業者にとって、資金(及びそれに附随してくる人材や情報など)は有限の資源であり、かつ、必要なときに必要な量を確保しなければならないという厄介な代物である。

新規事業を興すときには、特に、この点を念頭に置いておく必要がある。

さて、いわゆる第3セクター系の観光施設破綻は、このことにあまりに無頓着であった結果と考えられる。
箱ものに限らず、本来、どんな社会資本整備には、必ず維持していくためのランニング費用が発生する。しかも、道路なら少々放っておいても、道路という機能が果たせなくなるまでには相当の時間が必要とされるが、観光施設は、手をかけねば、あっというまに陳腐化し、商品力を失ってしまう。初期投資そのものが無になってしまう事だって、容易に起こりうる。
それだけ、ランニング費用に対する認識を高く持たなければならないということだ。

「造れば勝ち」の幻想

つまり、観光施設においては初期投資の補助を受けられるかどうかは、一つのハードルにすぎず、例え、少ない費用負担で施設建設にいたったとしても、結局は、その後の運用費用として跳ね返ってくるのである。
ここには、公共事業にありがちな「造ってしまったものの勝ち」という論理は通用しない。

「整備さえすれば」という幻想

ランニング費用の問題だけではない。
テーマパーク型のように施設(箱もの)建設や、町並み整備と称する歩道や街路樹の整備を観光振興のための投資とすることが多いが、その殆んどは、マーケットをほとんど踏まえない計画であり、単に、「現状の欠点改良」であったり、ちょっと特異なものの「化粧直し」であるにすぎない。

その思想の背景には、「整備さえすればなんとかなる」という考えが存在する。

確かに、ディズニーランド並みの投資を一点で行えば、多くの人を集めることが出来るかもしれない。しかし、ディズニーランドが成功したのは、投資規模だけでなくその運用ノウハウやマーケティングにある。
単に整備したから、観光資源が出来たからという理由だけではない。

閾値の所でも触れたが、投資規模で振興効果を図るのであれば、桁違いの投資が必要である。中途半端な投資では意味を持たないし、また、総金額が大きくても広く浅い投資では同様の結果となる。

整備され、「もの」が出来たしても、「人」がこなければ意味は無い。人が来るということがどういうことなのか。そこをしっかりと見つめる必要があろう。