閾値と観光開発
     

□閾値を超えない投資は効果ゼロ

ものごとには、ある水準を超えるまで徹底しなければ、効果がゼロに等しくなり、それまでの努力が意味がなくなるというラインが存在する。

そのラインは閾値(いきち)と呼ぶ。

もともとは薬の世界の言葉で、一ヶ月間毎日100mgを飲まなければならない薬を毎日80mgで済ませたとすると、効果は8割ではなく、ほとんどゼロになってしまうといったことから来ている。


この閾値を超えないで失敗した典型的な例が橋本政権の景気対策だ。 同政権のバナナの叩き売りのような小出しの政策は、単独で効果を発揮しなかったばかりか、少しの累積効果も生まずに、結局、税金をどぶに捨てることになった。大きなバケツの水を一度にかければ消えるはずの炎も、ひしゃくに小分けした水では、バケツの何倍の量を使っても消すことはできない。つまり、最初に思い切った額の公的資金を投入しておけば、株安と円安にも歯止めがかかり、これまでの総投入額より少ない金額で所期の目的を達していたはずなのだ。


このような失敗は観光開発の世界でも実に多い。
例えば、単発で遊歩道を整備したり、美術館を造ったりと問題点対処型で少しずつ投資することが少なくないが、この方法はうまくいかない。橋本政権の景気対策と同様、閾値に満たない中途半端な投資を何回繰り返しても効果が累積しないからである。

□上昇し続ける閾値水準

さて、今、注目しなければならないのは観光に限らず、ビジネスのあらゆる分野において、この閾値という勝利の合格ラインが上がっていることだ。競争の激化やグローバル化等によって、投資の必要最低レベルが上昇している。

閾値の上昇の背景には消費者(観光客)が持つ情報量と経験の双方が上昇し、かつ、交通機関の発達によって、観光地といえどもグローバルな競争に突入している事が挙げられる。

また、観光地、観光施設という特性上、地勢的な立地場所というハードルが存在する。 東京や大阪と言った大市場から時間的・経済的に遠くなれば、それだけ閾値は高くなると考えた方が良い。

以前なら、ちょっとした町並み整備を行ったり、温泉施設を新設したりすれば、それだけで「閾値」を越えることが可能であったが、現在では通用しない。

これは何もハードウェアの整備だけではない。ホスピタリティの向上や、各種イベントにしても同様のことが言える。


「うちはいろいろあるのに人が来てくれない」「昔は結構にぎわっていた」という観光地や観光施設は、この上昇し続ける閾値に達していないと考えるべきであろう。

□閾値を超えるにはどこかで絞込みが必要

しかし、もともと特別な観光資源を有していて黙っていても閾値を超えられる観光地・観光施設ならともかく、多くはこの上昇し続ける閾値に取り残されてしまっている。

しかも、バブル崩壊後、多くの観光地・観光施設において経営が困難になっていることから解るように、閾値を超えるための投資は、結果として回収できないのが実状だ。

そこで必要となるのが、資金や時間、場所といった経営資源の投入にメリハリをつけ、重要な分野だけでも閾値を超えた対応をすること、つまり絞込みである。 この絞込みは、経営資源が有限である以上、いかなる時でも必要なことだが、投資の最低レベルが上がったことによって今まで以上に重要になっている。

絞り込みによって何かを捨てなければ重点分野で閾値を超えるための投資余力が生まれないからだ。

絞り込みは一方で、捨てることあるいは差をつけることを意味する。


観光地づくりでいえば、行政域全域を対象とするのではなく、ある特定の地区にだけ特化するとか、細かい様々な観光資源は敢えて無視して、その中で競争力のあるものだけについて整備を行うといった事が挙げられる。

また、観光施設にしても同様で、中途半端な遊具施設を広く揃えるよりは、「そこにしかない」とか「○○については群を抜いている」といった物を整備する方が望ましい。
なお、念のため述べておけば、群を抜いていると言っても、単純に日本一の○○といったものを造れば良いというのではない。それが消費者にとって魅力的なものなのかどうかという調査は必要である。