観光とストック

はじめに

このところ、公共建築を中心に「変わった」建物が多く竣工している。
日経アーキテクチャーなどを見ていても、次から次へと新たな建物が生まれてきている。バブルの末期に企画化された事業の生き残りが、これらの建物であるようだが、まちなかであっても、田舎であっても、個性が強すぎ、万人に受け入れられるものではない。
まぁそのへんのデザイン性なり、必要性の是非論はおいておいて、出来てしまった物は出来上がった物として「その後」を考えねばならないだろう。

ストックとすること

バブル期は多くの建物、開発を遺産として残した。
その多くは、ある地域では「乱開発の爪痕」として、また他地域では「バブルの墓標」として、否定すべき過去としてとらえられてしまっている。
しかし、はたしてそう簡単に否定してしまって良いのだろうか?

今後、日本は従来のような右肩上がりの経済成長は見込めないと言われている。
ということは、コストのかかる代物に投資していくことはほとんど望めないと言うことである。

建物に金をかけられる時代は終わったのである。
この事実は非常に大きな重みがある。

こうした状況において、やらねばならないこと。
それは、今あるものを「ストック」として残していく努力ではないだろうか?

本当に残すべきストックなのか?

「バブル期の開発など、金にあかせたもので、残すべき価値など無い」
「そんなに優良なストックなどにはなっていない」
という意見もよく言われている。

しかし、ストックなどと言うものはそんなものではなかったか?

社会環境や経済環境の変化によって、価値観などはどんどん移ろっていくものである。明治初期に多くの城郭が潰されていった事など好例だろう。

別にバブル期の高コスト開発に限った話しではないが、建物やエリアがストックに値すべきものかどうかはその時代の人々が判断して良いものではない。現時点では不要、無駄なものであっても、10年後、50年後、100年後はどうだか解らないのであるから。

例えば、今、人気を集めている角館は、「貧乏」であったが為に、町並みが保存されていたという。また、松本城などはあまりに老朽化が激しくて買い手もつかず、見た目にも解るほど傾いていたという。明治、大正期の煉瓦工場や倉庫はとっくの昔に経済的寿命を過ぎてしまっている。

全てとは言わないが、長期に渡って保存されたものは、それだけで大きな価値を持つのである。

特に、バブル期の建物、開発は多大なコストがかけられており、多くは構造的寿命も長い。今後、それに匹敵するだけの開発が難しいとなれば、ストックとして評価されるのは、そう遠くないのでは無いか。

どう残すのか

但し、このことは採算を無視して維持していくことを認めることと同意語では無い。

前述の城や、工場などは本来の目的では経済的に成り立たなかった事は明らかである。それが、文化遺産、産業遺産といった観光的な視点により再生を果たしたのである。
小樽運河にしても、道路計画があったものを、保全と開発の折衷案として今の形がある。本来の運河としてのあるがままの形を保全できなかったことに、無念な思いをした専門家もいたようだが、結果としてストックの蓄積を果たせた点で評価できよう。

ところで、これらは本来、観光用で造られたものでは無い。
それが、観光という新しいビジョンによって新たな価値を見出して再生したのである。

ここに、観光用施設のストック化が難しい一因がある。
始めから観光施設として造られたものは、他用途への転用が極めて難しいということだ。結局、当初目的と同じ「観光」というセグメントの中で活路を見出すしかない。