都市における観光・交流機能の位置づけ 考察1

定住人口拡大の歴史

東京をはじめとする大都市圏においては、戦後からオイルショックまでに、急激な社会増が生じた。こうした人口増加圧力の中で、大都市圏内の諸都市には多くの団地が造成され、ベットタウンとなっていく。1960年代には、この人口増加に自治体のインフラ整備が追いつかないようになり、1965年には、川崎市に日本で最初の「開発指導要綱」である「団地造成事業施行基準」ができるようになる。1970年代に入ると、オイルショックもあり、社会増は落ち着き大規模な団地造成も減少するが、人口増に都市インフラが後追いする状況はしばらく続く。
この時期、地方都市では、過度な人口増状況にある大都市圏の人口分散を目的に、主に重厚長大素材型産業の地方立地を目指し新産都市など、雇用吸収力のある企業や産業の誘致が図られたが、大都市圏への集中は止まらなかった。また、1970年代に入ると、新全総に基づき高速道路、新幹線、空港、港湾への投資が高まる。

1980年代に入ると、人口集中が減退したこともあり、大都市圏の諸都市でも、基本的な都市インフラの整備から、住民の良好な生活環境や、利便性といったアメニティに対する注目が高まり、公園整備、下水道整備、道路整備といった都市インフラの整備が重視されるようになる。また、一方でより豊かな生活として「文化」にも注目が集まり市民ホールや美術館などが多数建設されるようになる。
こうした傾向は、地方都市でも同様であったが、一方で、ハイテク産業の地方立地を図る「テクノポリス構想」が三全総にて打ち出され、定住構想の実現が図られる。

全総、新全総、三全総、およびそこで打ち出された新産都市、テクノポリス構想の正否、評価は様々であるが、重要なことは、この頃までは、大都市圏、地方都市、双方において都市の成長の尺度は「定住人口」によって代弁されていたということである。

交流人口への意識転換

しかしながら、四全総(1987)となると、未だ人口集中の続く「東京」を世界都市東京と位置づけ、多極分散型国土の形成:交流ネットワーク構想として、必ずしも「定住人口」にこだわらない方向性が示されるようになる。いわゆるリゾート法はその方向性の下、「交流人口」の増大を念頭に制定されたものである。

リゾート法は、その後の地価狂乱のきっかけをつくった物、そして、昨今の大規模プロジェクトの破綻などによって非難の対象となることが多いが、「定住」ではなく「交流」に軸足を移すことは、総人口が横這いとなり、高齢化が進み、産業が労働集約型から(雇用吸収力の小さい)資本集約型へと転換した現在、唯一無二の選択であることは明らかである。

実際、1990年代も中頃となると、農村部だけでなく地方都市においても空洞化、衰退が顕在化し社会問題となってくる。いわゆる「中心市街地問題」である。この背景には、市街地のスプロールによる都市機能の郊外化、土地神話の崩壊による従来型都市再開発事業の頓挫など様々な要因があるが、都市であっても、インフラを支えるだけの人口を確保出来なくなってきたという事も大きな要因である。
大都市圏の諸都市においては、「人口減少」はまだ顕在化していないが、直近の問題となっている。しかも、人口構成上、高度成長期に上京した人々の比率が高いため、高齢化も急激に起きることが予想されている。いわゆる「ベットタウン」では、都市が維持できなくなる可能性は高い。

五全総(1998)は、総花的との指摘もあるが、四全総以上に交流が打ち出されるようになっている。また、同じ年には、「大店立地法」(公布6月3日 施行2000年6月)、「中心市街地活性化法」(公布6月3日 施行1998年7月)、「改正都市計画法」(公布5月29日 施行1998年11月)と3つものまちづくり関連法律が国会を通っている。大都市圏からの機能移転ではなく、地域独自のまちづくりをする方向性が強まったと言えよう。
定住人口拡大が長期的な戦略として位置づけられない以上、定住人口の維持はもちろんのこと、交流人口、すなわち「来訪者」拡大を志向することが多くの都市において求められるようになろう。

観光交流の位置付け

ここで注意すべきは、都市の戦略の中で、どこに「観光・交流」を位置づけるのかという点である。

従来の「定住人口拡大」は、多くの場合「目的」であり、そのために工場誘致や住宅団地の造成が「手段」として行われてきた。
一方、「交流人口拡大」は「手段」であって、目的では無い事が多い。目的は、「歴史的な資産を保全するため」「地域の生産物を販売するため」といったものであることが一般的である。場合によっては、「定住人口の維持・拡大」が目的としてあり、そのショーケースとして「観光・交流」を位置づける事もあろう。(リゾート地での定住など、観光・交流の魅力を持った所は、定住場所としても魅力的な場合も多い)
ただ、実際には目的が曖昧であったり、目的と手段が混同されているケースが多い。

来訪者拡大を「目的」とするということは、「来訪者に訪れてもらうために歴史・文化を発掘し整備」することになるし、同じく、「来訪者が喜ぶような生産物を提供」するということになる。言い方を変えれば、生産者の立場ではなく、消費者の立場に立つということにもなる。この違いは、明確に意識すべきである。

そもそも、定住人口にしても、企業誘致にしても、視野を広げれば海外からの誘致という選択肢も存在する。実際、ドイツやフランスは、外国人単純労働者を国レベルでトルコやモロッコなどから誘致していたし、日本企業は海外で企業村をつくっている。グローバル化、ボーダレス化の進んでいる現在、「日本では出来ない」と決めつけることは無いだろう。日本でいえば人口の減少・高齢化は既定路線だが地球規模で人口の減少・高齢化が進んでいるわけではない。

単に「定住者の拡大」が見込めないから「交流人口の拡大」を図るという事ではなく、戦略的な位置づけが必要であろう。

定住者拡大と交流人口拡大をどのように都市戦略に位置付けるのか。まずはこの点について深い議論が必要である。
その上で、交流人口拡大を選択した場合、大きく、「集客都市」と「交流都市」の二つの選択が考えられる。

集客都市

来訪者を主に商業における「市場」として考え、より多くの人を来訪させ消費活動を行わせ、自地域内の商業活動を活性化させる事を目標とする都市。

交流都市

来訪者を主に情報の伝達者として考え、来訪者と都市の人々や産業とを深く交流させることで、文化を創造し、付加価値を高めていく事を目標とする都市。

どちらを目指すのか

どちらも来訪者誘致が中心となっているが、前者は、主に量の確保が前提であるのに対し、後者は質を深めることが主題となる。
そもそも、来訪者のインパクトは人数×単価(活動量)で示される。集客都市は人数、交流都市は単価(活動量)に注目したものと考えると解りやすい。そして、従来のほとんどの都市(および観光地)は、人数にのみ注目し、単価(活動量)はあまり注目されてこなかった。(観光入り込み統計はそのほとんどが人数しか対象としていない)
これは、商業施設(観光施設を含む)は、あらかじめ概ねの単価は決まっている事にある。つまり、単体の施設にとってみれば、単価はほぼ固定だから、人数だけに注目すれば良かった訳である。

だが、都市という単位で考えれば、1万人が1時間しか滞在しないよりも、たとえ100人でも1泊してもらったほうが、都市との間に様々な接点が生じ、結果、都市に与えるインパクトも大きく出来る可能性を有している。特に、金銭ではない部分、人々と産業との接触、交流によって創造される文化といったものは、その可能性が高い。

集客都市を目指すのか、交流都市を目指すのか、まずはそこから考える必要があろう。