アクアマリンふくしま

2000年7月開業の最新水族館

日本には60あまりの水族館が開設しているが、アクアマリンふくしまは、2000年の7月に開業したばかりの最新型水族館である。
以前の水族館というと、小型の水槽が薄暗い室内に並んでいるといったようなものであったが、水回り設備の技術向上や、樹脂ガラスの実用化などによって、大水槽やトンネルなどが実現し、大きくその形態を変え、「見て楽しい」水族館となっている。
特に、バブル時に盛んになった「ウォーターフロント開発」において、水族館は臨海のレジャー施設として注目を集め、大阪の海遊館、名古屋の名港水族館、八景島の八景島シーパラダイス、東京の葛西臨海水族館などが続々と登場した。
その後、バブル崩壊もあり、こうした大型水族館の開設は沈静化していたが、近年になって、新規開設やリニューアル計画が多くでてきている。名港水族館も拡張計画が動いているし、沖縄海洋泊講演も新館が工事中、大洗でも新大洗水族館が開業される。
アクアマリンふくしまはその波の第一段とでも呼べる水族館である。

さすがに最新型

アクアマリンふくしまは、太平洋を望む小名浜港埋め立て地にあり、横から見ると潜水艦のような形をし、ガラスシェードに覆われた水族館である。
近年、特に公共建築において「透明建築」がおおく採用されており、その意味で、アクアマリンふくしまは、そうしたトレンドに沿ったものとなっている。
港に隣接しており、近くに物産センター「ららみゅー」があるなど、立地特性は名港水族館に近いものがある。
内部は、まず、1階から入場し、簡単な展示室(太古の海?)を過ぎた後、エスカレーターで一気に4階にあがり、ループ状に降りてくるという動線になっている。
施設全体をガラスシェードで覆っている特性を活かし、4階や3階の一部では屋外のような空間を作り、水槽だけでなく植栽や擬岩などでより自然に近い形での展示が行われている。なお、空調ダクトは擬岩によってカモフラージュされている。
自然に近い水の動きを再現するために、波や川の流れが水槽内に作られていたりと、工夫が見られる。実際、他の水族館に比べ、魚の動きが活発に見えた。
こうした方向性は、動物園ではあるが、横浜ズーラシアのそれに近い。
また、随所に大型LCDや端末が設置されており、「生き物」と「静的な説明パネル」だけでなく、より多角的な情報提供が試みられている。
そのほか、「アクアマリンふくしまボランティア」というボランティア組織によって、展示内容の紹介補助などが行われていることも特筆できる。地元の施設として、誇りを持った運用をしていくために大きな力となろう。

良いのだけど

このように確かに最新型ではあるのだが、正直、「10年経ってもこの程度か」という感が拭えない。10年前の水族館ラッシュが、大きな飛躍となったのは、各種技術の発達を「見せ方」においたためだと思う。
例えば、従来、ペンギンは屋外で猿山のように上から眺める形態が一般的であったが、葛西や名港などでは、ペンギン水槽を横から見えるようし、泳ぐ姿を見せてくれるようになった。このインパクトは従来のペンギンに対するイメージを一新させるだけのものがあった。葛西のさわれる「タッチングプール」や海遊館のジンベイザメの泳ぐ大水槽も、見せ方という点で大きな革新がなされている。
アクアマリンふくしまでも、前述のように、擬岩を使ったディスプレーや、水流の再現、また、寒流系、暖流系2つの大水槽を隣接した潮目の大水槽などが設けられてはいるが、今ひとつ、インパクトが弱い。言い換えると、終わった後に「ああ面白かった」「特に○○が良かった」という印象が希薄なのである。

なぜ?

これは、全体のストーリーというか、脚本が弱いのが原因ではないか。
一つ一つの設備や取り組みはしっかりとしているが、それを全体として結びつける仕掛けが弱いのである。
具体的にいえば、入ってすぐは、古代の世界、ここで、3層ぶち抜きのエスカレーターで4階にあがり、植栽や擬岩でデコレーションされた屋外空間、そして、潮目の大水槽、海獣コーナーとあまりにめまぐるしく場面展開される。極端な話し、起(古代)、承(屋外)、転(大水槽)、結(海獣)となってしまう。しかも、海獣コーナーのあとは、博物館的なコーナーであり、「結」のエピローグ的な演出と感じてしまうほどである。
この後、熱帯コーナー、大水槽コーナー、希少コーナー、タッチング・情報コーナーへと続くのだが、大水槽は先ほど見てしまっているし、前段を越えるような場面展開も無いため、インパクトに欠けたままずるずるといってしまう。特に、後半になると集中力も低下するし、疲労も出てくるので、こうした「たるみ」感は更に高まる。
タッチング・情報コーナーを経ると、レストラン、物産コーナー、壁外の池、海などが展望できる空間となる。閉塞的な空間が多かった分、ここでの開放感は大きな場面展開となるが、その後は、展望棟とシアターが残されているだけで、水族館そのものに対する印象を高める事は期待できない。かえって、展望棟の印象が水族館そのものの印象を凌駕してしまう可能性すらある。
アクアマリンふくしまで一番印象深かったものが「展望棟」では、少々、情けない。

大物はとっておく

ファーストインプレッションは重要であるから、前段部の押し出しをある程度大きくすることは否定しない。しかし、前段の流れで目玉の大水槽まで見せる事は避けるべきではないか。
いくら見せ方が異なると言っても、一度、見てしまえば、そのインパクトは低下してしまうし、しかも、その後の展示物を見るときも、脳裏には大水槽が残っているから、それぞれの展示物のインパクトが弱まってしまう。
むしろ、中だるみの後に、目を覚ますくらいセンセーショナルに見せてやる方が効果的であろう。

滞留できる空間を

全体的に通路が狭い。特に、植栽や擬岩が施されたコーナーでは、その感が強い。
特に、来訪当日は団体客が多かったため、通路に人がひしめいてしまう事が多かった。
せっかく、植栽や擬岩が施されている空間なのだから、通路空間とは別に滞留できる空間を用意して、その空間に浸る事が可能なようにしてやれば、水槽だけでなく、全体の雰囲気を味わう事が出来、その展示の背景を知るきっかけになるし、リフレッシュにもなる。

団体と個人に対応できる動線

前段と関係することだが、アクアマリンふくしまは立地上、団体客、それもチェックアウト後の団体客が多くなるため、午前中は混雑する。実際、来訪当日も午後はかなり広々としていた。休日はまた異なった動向を示すのであろうが、どちらにしても、大きくもない水槽の中の大きくもない魚介類を大勢の人々が一つ一つ順番に覗き込んでいくようなスタイルでは、単位時間あたりの処理人数はすぐに限界となってしまう。
この入込波動をうまく吸収してやるには、前述のような滞留空間を設けることもあるが、「流し見コース」「じっくりコース」のようにコース分離することも考慮すべきであろう。
例えば、見栄えのする中・大水槽を要所に配置して、その周囲に二次動線を設けそこに小水槽を展示する。こうすれば団体客など時間制約があり、集団で移動していく人々は中・大水槽を中心にわたり歩き、その上で、興味のあるテーマのみ二次動線に踏み込んでもらえばよい。一方、個人客は、自分の興味によって動線を選択するとともに、二次動線は団体客からのシェルターとしても利用できる。

見せたいものと見たいもの

潮目の海とならんで、アクアマリンふくしまが注力したものとして「サンマ」がある。
サンマは非常にデリケートな魚で、水族館での飼育は非常に難しいものであり、アクアマリンふくしまでは、目玉の一つとしてこの困難に対応している。
このサンマは、展示施設の最後のトリをつとめる位置に展示されており、サンマのキャラクターグッズなども販売されているなど、その位置づけを感じることが出来る。
しかし、実際にはサンマ保護のために非常に暗い通路と水槽が用いられており、飼育の難しいサンマがここで公開されていますという背景を感じることが出来るようなディスプレーでも無かった。また、トリといえば、聞こえは良いが、実際には、利用者にとってはかなりの移動をし、様々なものを見た後であり、注意力は散漫になっており、そこで暗い水槽を見せられても、よほどの事がなければ関心を払うことは無い。
水族館には教育的な側面と、レジャー施設的な側面があるが、これは「見せたいもの」と「見たいもの」と置き換えることが出来よう。サンマは「泳いでいるところをみることは非常に難しい魚」ではあるが、派手さのないサンマ水槽に興味を持ってもらうには、そうした知識的なバックボーンをもっていることが要求される。一般の人にそこまで関心を持ってもらうことは難しい。敢えて、サンマを目玉とするなら、飼育に成功することはもちろん、そうしたバックボーンを伝えうるディスプレーが求められよう。

脚本の重要性

総じて、アクアマリンふくしまは、来訪者の視点に対する取り組みが弱いように感じた。
様々な点で建築物、水族館設備としては一級品だが、その技術が各々の場所で先行してしまったようだ。水産試験場ではなく、「水族館」である以上、来訪者、利用者が全体を通して何を感じるのか、また、何を感じて欲しいのかというアピールが欲しい。
平均滞在時間は、1~2時間と推定されるが、その滞在時間をどのように消費してもらうのか。来訪者にどのような水族館であったと記憶してもらいたいのか。この辺のポリシーを持ち、それを施設運用に結びつけていく事が求められよう。